山部"YAMAZEN"善次郎

経歴
福岡市博多区千代町に生まれ育つ。生家は紙の卸問屋「株式会社紙ヤマベ」。

福岡市立警固中学校3年の時、卒業キャンプで好きな子に

ローリングストーンズの『TELL ME』を歌おうと練習を始めたことから音楽の道に入る。

オフィシャルサイトの「山善伝説覚書」では事故に遭ったのを1968年としているが、

公式サイトでは1969年と回想したこともある。

高圧電線で6600Vに感電する事故に遭い左目と鼻を失う。                
1971年高校生の頃、博多の伝説的なライブハウス「照和」のオーディションを受け、

バンド「田舎者」のとしてステージに立つ。

その後、九州産業大学経済学部に進学。
「田舎者」「SMILE」「博多テディボーイズ」を経て、

日本初のPUNKBAND「THE DRILL」を結成。
福岡大学の"山善石投げ事件"飯塚近畿大学"ミイラ男事件"など

山善の奇行がエスカレートし、バンドは一年で解散。

単身、イギリスへ飛び立ったものの入国を拒否され強制送還、大阪の伊丹空港へ・・・
初心に戻り、中洲にてギター一本で弾き語りを始める。

その頃徳間ジャパンからメジャーデビューする話が来るが、

録音の出来映えに満足しなかったためにこの話を断る。
25歳で自らの音楽的才能に見切りをつけ、家業の紙問屋を手伝うために四国松山市へ移住。

博多帰省後、家業の仕事を4年間続けたが、

29歳のとき車を運転中にFMラジオから後輩のスマイリー原島が率いる

THE ACCIDENTSの『雨のメインストリート』を聴いたのがきっかけで

音楽の道に戻る決意を固め、福岡スポーツセンターで開催された「JUNPING JAM」に飛び入り、復活。
山善&Midnight Specialとして地元インディーズレコードBORDERLINEより1stシングル
『キャデラック』続いてYAMAZEN&DYNAMITE
1stALBUM「DANGER」発売。
翌年VIVIDSOUND RECORDより山善ソロアルバム「NATURALLY」を発売。
90年CAPTAIN RECORDより3rdALBUM「CRAZY TOWN

」91年初のメジャー・レーベル、 コロムビアレコードから

「山善フォークジャンボリー」をリリース。全国ツアーを行う。
92年地元インディーズレーベルKINGSWORLD RECORDより、

「10YEARS AGO EARLY YAMAZEN THE DRILL」、

「HAKATA TEDDYBOYS LIVE atPOWERHOUSE FeaturingAYUKAWA MAKOTO」

「TROUBLE MAKER」をリリース、

同年VOICE RECORDより「CHAMELEON MAN」をリリース。
その時期、音楽活動の傍ら油絵を描き始め、(福岡県展や朝日新聞賞への入賞歴もある)
福岡市新天町の「ギャラリーおいし」で3年続けて個展を開催大成功を収める。
その後福岡県立美術館で個展を開催、

2015年12回目となる個展を博多阪急にて開催。
2001年KOKO RECORDより新たな試みである全曲打ち込みのアルバム「ANOTHER SIDEOFYAMAZEN」を発売。

2004年KINGSWORLD RECORDより「STAND-UP」。
2005年DISCAS RECORDより「GIFT」
2006年野蛮レーベルより
山善初のBLUESALBUM「FULL HOUSE/YAMAZEN&THE BLUESFELLOWS featTAD MIURA」発売。
2013年BEAT VOX RECORDより「少しだけ優しく」発売。

2014年[Alone」発売

2015年自身のドキュメンタリー映画「6600v」公開
日本全国で精力的に活動。                     

山部の半生は、2003年に『RKB九州・沖縄ドキュメント" MOVE"』で取り上げられた。博多在住。