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「はじめての恋」

2015年05月18日 21:59

初めての恋。
いつだっただろか...
堅粕にある清水保育園の邦子ちゃん。
いや違う花組の尾畑先生。
優しくふくよかな
胸に抱かれて眠った。

小学生の時俺は小さかった。
大きな女の子の今岡さんは
今も付き合いがある。

中学校。
ワルソウで、更に頭も悪い俺は、
付属小学校から中学校に上がれず
市内きってのハイカラな中学校
警固中学校に通う事になった。
親戚が今泉で自転車屋をしていた。
寄留入学である。
3年間、千代町から赤坂にある警固中に
自転車で通った。
警固中学校は
警固小と赤坂小の子供が入学する。

映画監督の石井聰亙は
俺より二つ年下で、
俺ん方から50m程先の所にいた。
石井監督は
千代小、千代中、福岡高校へ。
そして東京に行って映画監督になった。
相当頭が良かったみたいだ。

博多の千代町は
本当にガラが悪かった。
その同じ町内(宝来町)から
映画監督が出るとは...
それも地元の千代小、千代中で...。
ついこないだまで石井監督の事を
俺は知らなかった。
「爆裂都市」って、
変な映画だと思ってはいたが
まさか千代町のもんが撮っとうとは思わんやった。
石井監督の方では俺の事を知っていたらしい。
高圧電線で、紙屋の息子さんが感電したらしい。
それも6600Vでと。

警固中に俺が行ってなかったら...
そう思うと不思議だ。
あのまま
坊ちゃん学校の付属小学校から
千代中学校に入っていたら
今頃音楽なんか
やってなかったかもしれない。
小学校は西公園で
中学校は赤坂、警固、天神で遊んだ。

何故か友達は大の音楽通。
色々教えてもらった。
時代も良かったと思う。
音楽、ファッションに飢えてた。
映画にも芝居にも。

情報はわずか。
誰よりも先に
新しい情報を手にした者が
何より有利だった。
金は無かったが夢は大きかった。人一倍。
笑い話だが
八十五歳になる母親から
"あんた覚えとうね、
俺が音楽で当たったら
プ-ルの付いとう家ば買うちゃぁけんねぇ~
大船に乗っとかんねぇ~母さん
あれから四十年近く経つばってん
プ-ルはおろか庭の池すら...
情けない...!"

人、何でも、環境。
自分の置かれた所で
随分違うような気がする...
後は本人次第であるが。
キャデラックを作曲した
板東嘉秀の6人男兄弟との出会い。
中学3年生の時の6600V高圧電線の感電事故。
スマイリ-原島率いるTHE ACCIDENTSとの
FM番組での出会い。
BORDERLINE RECORDからの1stシングル発売。
39歳、内の上さんから尻を叩かれ
始めた油絵の道・・・・・。

今夜
あの橋本潤の追悼LIVEで唄う。
こんなに天気がいいと
何かセンチメンタルになるじゃないか。
橋本潤。
一度、演りたかったな
お前と・・・・・。

「だから俺はここにいる」

2015年05月18日 21:58

森山、陣内、お前達、
たいがいで博多に帰って来んや?
飛行機も安いし新幹線も早いし。
仕事の時だけ、
東京に行きゃよかろうが・・・。
柴山さんもマコちゃんも。
博多いいですよ! 
ラーメン、うどんは勿論、
魚が安くて美味い。
もう、たいがいで、
良かっちゃないですかぁ~・・・・。

俺は博多から出た事ないけん
分からんばってん。
東京やら大阪、広島、東北のもんやらに
言わせてもろうたら、
博多は天国げなですよ!
柴山さん、
うどん喰いに行きまっしょう。
森山、お前くさァ
警固にある焼き鳥屋「野球鳥」の大将が
えらいお前に会いたがっとうじぇ~。
陣内、お前くさぁ
俺ん方に
一ぺんも遊びに来た事なかろうがぁ~
しらけるねぇ~はがいか!

博多の町の感じが好き。
街自体が狭い。
すぐ千代町から天神まで歩いていける。
東京の石井が住んどった国分寺のアパ-ト。
駅まで20分ぐらいかかるけんねぇ~
博多やったら、
歩いて千代町から天神まで
もう、着いとうじぇ~
はがいか!

もう随分芸能人も老後の事考えて
博多移住計画を進めようげなじぇ~!
森山、陣
お前達聞きようとやぁ~~~~! 
はがいか!

博多もどんどん東京のごと、
ツヤかぶってからくさぁ~ 
昔のごと、
いっちょん面白う無いばってん、
人間がいいじぇ!
ほんなこつ。

お前達くさぁ~
たまには
お前達から俺に電話入れるとが筋やないやぁ~
はがいか!

とにかく待ってるじぇ!
野間の鯛焼き屋で、
俺は待ってるじぇ! 
白アン喰いながら...。

「あの頃の俺達」

2015年05月18日 21:56

思い出す、あの頃。
10代の仲間達7、8人と
警固公園で
ギタ-片手に盛り上がっていた。
女の子も3、4人いた。
"今、スポ-ツ・センタ-の前の
フォ-ク喫茶「照和」が出演者募集って
書いていたけど、
肝試しで冷やかし半分で
オーデションば受けろうや
・・・山部と花房お前達代表で"
その時の勢いも手伝って、
「照和」に、
ボロボロのフォ-ク・ギタ-を
持っていった。
何を唄ったかも覚えていない。
そんな17歳。
"あんた達下手いけど面白い。
来週の木曜日に来んしゃい!"
オリジナルはなかったけれど
C・C・R、BEATLES、STONESを演奏した。
最初は二人だったが
最終的に5人編成の
エレキバンドになっていた。
バンド名も「田舎者」
俺が田舎者みたいな
ダサイ格好をしていたからだそうだ。
最初のギャラは、
サンド・ウイッチと
レモン・スカッシュ
ボチボチ人気が出て来た頃
誰かが言った。
"火曜日の夜、
警固中の一級下の後輩が出よう。
バンド名も「開戦前夜」
なかなか良いらしい見に行こう"。
その二人は
陸上部の後輩、森山と浅田だった。
フォ-ク・ギタ-に
エレキ・ベ-スで過激だった。


また噂を聞いた。
香椎のもんで一級下の
「春風馬亭」って言うBANDも
なかなかいいげなぜ。
ボーカルは井上マサル。
フォ-ク・ギタ-にコンガで
ほんわかム-ドでリラックスしていた。

のち、森山はMODS。
マサルはFULL NOISE。
俺達と言えば
「田舎者」「SMILE」
「博多テディ-・ボ-イズ」「THE DRILL」と
一年毎にBAND名を変えて活躍した。

陣内率いる「THE ROCKERS」を見た時は
打ちのめされた。
"時代は、確実に変わった"と。
「照和」の4階の暗がりで
THE DRILLのメンバ-角野から
長渕を紹介された。
髪の長い優しそうな男の子だった。

「照和」から
色んなBANDがデビュ-した。
チュ-リップは
俺達が「照和」に出入りする頃から
既にスタ-だった。

「海援隊」の武田さんは
西公園の俺の母校でもある
福岡教育大学付属小学校で教鞭をとっていた。

甲斐さんは言う
「俺、広島に就職するけん...
お前達頑張りやい」と言い
肩まであった長い髪をバッサリ切った。
一週間後、
甲斐さんは広島から帰ってきた。
"やっぱり唄う事にするけん"

「リンドン」は、
俺達「田舎者」と同じ世代だったが
上手かった。
特にギタ-の田中一郎が。
誰よりも最初にデビュ-したのを
今でも覚えている。

俺達はダンス・ホ-ルで
「SON HOUSE」を見て以来
ROCKの虜になった。
当時「SON HOUSE」は
英語のカバ-から
日本語でのオリジナルに変わる頃だった。
その「SON HOUSE」も二度ほど
「照和」で演奏した事があった。
須崎にある[POWER HOUSE」を根城に
ROCK BAND最初の
メジャ-・デビュ-を狙っていた。

あの頃、毎日が刺激的だった。
狭い博多で、狭い福岡で。
角を曲がると森山達に会い、
後から陣内達が声をかけた。
柴山さんの後ろを
金魚の糞みたいに付いて回った。
マコちゃんから怒られ篠山さんから...

自分の基本はこの頃だと思う。
ROCK世代の俺達。
PUNKと言う音楽は後から付いてきた。
しかし俺達は飛びついた。
行き場を無くした迷える羊達
それは俺達だったかもしれない。
ありがとうジョニ-!
感謝してるぜ!

「有難うJOE COCKER」

2014年12月24日 19:36

いつもより朝早く目が覚めた。
何もすることが無く
部屋の模様替えをした。
気分が優れるまで
部屋の配置換えをした。
5時になったので町に出た。

ビブレとジュンク堂の間に車を止めた
今朝に限ってギタ-を車に積んでいた
まだ町は眠っている。
ゴミ清掃車が3台
ビルの開くを待っていた。
寒さに痺れ上がりながら唄った
「一本の赤い薔薇」を
"友達の名は、ジョ-
この町の殺し屋
無口な奴だが俺のジョ-クじゃ笑う
波止場じゃ一人 
モ-テルじゃ5人
真っ赤な薔薇置いて去っていく
朝日が無い町、俺達は育った
いつの間にか行く道は違って"

6時45分
いつものイタリアンレストランで
エスプレッソのダブル。
今朝はトリプルじゃなかった。
しかし、いつもより暖かかった。
7時15分
夜が明けてきた。
いつものカラスが
今朝はいやに鳴いた

スッカリ夜が明けてきた大都会
ここは天神、大名。
まだ
目を覚ますのに4時間の時間が必要だ。

帰ってきて
ソファ-に横になったら
急に眠たくなった。
気がついたら11時。
慌ててBORDERLINE RECORDに
新作「Alone」を納品に行く。
そう今朝行った
あのイタリアンレストランの
真横の二階にあるレコ-ド・ショップだ。
ミュ-ジック・マガジンが欲しくて
天神・博多駅・中州・箱崎と
車を飛ばしてそうつき廻ったが、
見当たらない。
ふと思った。
まだ今朝はFACEBOOKを開いていない。

疲れた頭に電撃は走った
"JOE COCKER死去70歳"
言葉が出ない。
俺の目標の人が...
心が痛い
信じられない....

昨日
ジョ-・コッカ-のCDを
聞いたばかりだった。
何故かLP盤の音が
出なかった事を思い出した。
一度、見たかった。
一度、目の前で
あなたの歌う姿を見たかった。
一度、遠くからでも
あなたの微笑むその横顔を見たかった。

JOE COCKER!
あんたの分まで唄い続けるけんね..
有難うJOE COCKER!

「天国の入り口の切符売り」

2014年12月24日 19:20

年末こんな寒い日に思う事は
誰でも年を取るって事だ。
生意気なアイツは
二十歳そこそこで俺の肩を叩いて言った。
"YAMAZEN、今度天神3丁目で
レコ-ド屋始めるんです。よろしく!"
その若造が今じゃ50歳。
俺が30歳のギンギンの頃
奴は、夢と希望を持って
レコ-ド屋を始めた。
あれから30年。
奴は今だにレコ-ド屋をやってる。
規模は小さくなったけど。

先輩が言った
"善次郎。
誰であろうが
何でも始める事、終わる事は簡単たい
中身、要するに継続するとが
中々、難しいとじぇぇ~
分かっとうや!?
お前も
この世界で地味ながら
博多で頑張りよろうが
それが良かったい!頑張りやい!
俺も今年70歳になったばってん
まだまだお前達には負けんじぇ~"

確かに人間お互いに年を取る。
若い時
歳の離れた男と結婚したアノ娘。
人間、50歳過ぎたら
50も60も変わらない。
後は自分の心の持ち様だ。

先輩はいつまでも先輩。
同級生はいくつに成っても同級生。9
85歳のお袋は言う
"寒くなったから
風邪など引かぬよう気をつけなさい"
幾つに成っても
子供は子供、親は親だ。

皆、
楽しく歳を重ねていこうじゃないか。
あんたらより先に
棺桶に入るわけには行かない。
だって
天国の入り口の切符切りって言う商売は
それは辛いものらしい...

「雲ひとつ無い青空に一人思う」

2014年12月18日 22:15

ベランダで
寒空に煙草を吸う
飛行機が
5分おきに飛んでいく...

20年前
北九州の黒崎で無くした
ジャンバ-が戻ってきた。
何日か前、
佐賀の先輩の家に
お邪魔して帰ってくると
階段の上に
緑色のジャンパ-と帽子が二つ
なけ無しの金で買った
スティ-ブ・マックイ-ンが
大脱走で着ていた
あのジャンバ-が無造作に
かけてある。


20年振りに見かけた
このジャンパ-。
アルバム「カメレオン・マン」の
レコ-ディングのさなか
衝動買いした。
何日も着ず
北九州のブティックに置き忘れた。
帰りの電車代だけ握って
ラ-メン喰いたさに100円だけ握って
思い切って
ラ-メン屋に入って注文した
"ラ-メン一杯!大将、
金100円しか無いとばってん
よかですか...?"
"よかですよ"

思い返せば20年前
昨日の事に覚えている。
思い出せば40年前
昨日の事みたいに思い出す...。

ただ近頃2~3日前の事が思い出せない。
はがいかぁ~
ボケよっちゃないかいなぁ
この俺。

昔の事は
嘘のように鮮明に
憶えているのだが・・・

「さらば友よ」

2014年12月03日 21:02

真夜中の3時半。
電話が鳴る。
その夜は何故か寝苦しかった..
ベッド聞き耳を立てていたが
留守電に変わった途端、
何のメッセージも無く
電話は切れた。

その電話で目が覚めてからは
結局、一日調子が出なかった..
"○○子からの電話に違いない.."
近頃焼け酒を呑んでると噂を聞いていた。
気になって夕方、○○子に電話を入れたが
その日は珍しく11時には
床に就いたそうだ。

"山さん!
長い間、病室で宙に舞って
自分の寝姿を見ていたけれど
やっと天国に着きましたよ..
天国には公衆電話が一台もなく
連絡が遅くなったけれど
まだ山さんと面白い事
いっぱいしたかったですね。
お袋の事、宜しくお願いします。山さん!"
昨日の電話は
長い間病床に就いていたが
先日とうとう亡くなった
後輩からの電話じゃなかったんだろうかと
ふと思うようになった。
いや、そうに違いないと..

後輩の通夜に
お袋の出身でもある甘木まで
車を飛ばして行った。
早めに出たつもりだが
夕方の交通渋滞に呑まれて
結局通夜のぎりぎりに着いた。
今時分の夕方6時は
もう真っ暗だ。
田舎の葬儀場には
後輩の友人達が沢山駆けつけていた。
奴とは25年くらい前に知り合った。
後輩の深町健二郎が主催する忘年会が
筑後川温泉であると言う。
"お前、赤のゴルフのコンバ-チブルや?
幌を外しやい!暖房全開!
高速で行くじぇ~~!
"面白そうですねぇ~しかし寒かですよ
...山さん!"
"やかましい!
とにかく行くったい。
イタリア映画のごと
マルチェロ・マストロヤンニの
「甘い生活」のごと行くじぇ~~!"
筑後川温泉に着いた時
4人とも足は温かったけど
顔は痺れあがっていた。

それから20年振りにFACEBOOKで繋がった。
"山さん今度会いましょう!
面白い事しましょう!"
天神のオ-プン・カフェで
何度となく語り合いディスカッションを繰り返した。

今年の3月27日
「太刀洗平和記念館ピ-ス・キャンドル」
このイベントで
俺が描いた油絵を
地域住民の皆様の協力のもと
千羽鶴にて再現する。
平和に祈りを込めて
山善こと山部善次郎が歌うというイベントを
提案、企画したお前。
お前に見せたかったぜ
お前に聴かせたかったぜ!俺の歌を。
その時すでにお前はベットの上

高山!ゆっくり過ごしやい!
高山!飲みすぎるなよ!
高山!天国の女は性質が悪いらしいけん
気をつけやいよ...
高山!本当にご苦労さん

お前の笑った遺影が
今にも語りかけてきそうで
涙が止まらなかったぜ

 

 

「煙草の話」

2014年11月27日 20:03

久理子が言った
"最初に吸った煙草は?"
"ハイライト"
今アメリカン・スピリットの黒
インディアンの絵のヤツ
これは鮎川さん..
マコちゃんから教えてもらった
九州大学農学部卒業の
マコちゃんが言うから間違いない
ラッキ-・ストライク
ラ-ク
マルボ-ロ..
なかなか口に合う煙草に
出会えなかった

熊谷はミニ・セブンスタ-
河内はエコ-
竹下はセ-ラム
柴山さんの若い頃は缶ピ-ス
穴井はフィリップ・モリス
斉藤はホ-プ
親父はチェリ-
POWER HOUSEの田原さんは
ブライアン・フェリ-と同じ
サン・モリッツ
四国、松山のお百姓さんの
田中さんは朝日
うちの上さんはセブンスタ-
古沢も...

煙草って、いい
大昔から原始時代から...
インディアンは
仲間と見なすと
同じパイプで煙草を廻し呑みするという

目覚めの一服は実に美味い
RECORDINGの
行き詰まった時に吸う
惰性の煙草は美味くない...

何度禁煙を誓っただろう...
政府に反抗して
でも無理だった
やはり自分に正直に生きたい
しかし、
近頃片身の狭い思いがする
SOULのナンバ-に
「コ-ヒ-とシガレット」と言う名曲があるが
老舗珈琲店、
"煙草はご遠慮願います。
コ-ヒ-の味が変わりますから..."
老舗JAZZ CLUB
"煙草は遠慮してください
シンガ-の喉を痛めますから..."
ふざけるんじゃねぇ~
馬鹿野郎!
JAZZCLUBに
ウイスキ-と煙草は付き物だろう~
この野郎!

88歳の親父曰く
"ここまで生きて来た
好きな煙草でも吸わなきゃ
人生味気ない..."

皆、自分にあった煙草を
見つけましょう...
俺は60歳にして
やっとたどり着いたよ..

「ホウキを持て」

2014年11月27日 19:51

頭にきたら掃除をする
親父が言った
"まずはホウキを持て!"と..

車を洗い
ワックスをかけるのもいいだろう...
CDラックの整理整頓
LP、シングル盤の確認作業
ギタ-の弦を張り替える..この作業

靴を磨く
埃かぶった皮ジャン
カビの生えたライダ-ズ
水雑巾で拭いてワックスをかければ
新品同様
ちょっと
時代遅れかもしれないけれどOK!

耳の掃除をしよう
聞こえない音が聞こえてくる
鼻の掃除をしよう
夕食が二倍美味く感じる

何でも熱中する
それは単純な事かもしれないけれど
何故か心が落ち着く...
そう思うのは
俺だけだろうか?
いや君も試してごらん
チッポケな事かもしれないけれど
不思議に心が落ち着くものだ
さぁ~まずは
コンピュ-タ-の周りを片付けて
始めよう、自分探しの旅を


 

「御礼」

2014年11月27日 19:46

この度の第11回山善油彩個展も
無事成功の内に終わらせる事が出来ました。
沢山のご来場、誠に有難うございました。
懐かしい顔、
久しぶりの顔、
いつもの仲間、
飛び込みの奥様方、
小学生、中学生の美術部
福祉の学校の皆、
先輩達、
可愛い子供たち...
この一週間で、一年分ほどの人達に会い
話をしたみたいで
正直の話、還暦を迎えた俺には
HEAVYなものでした。
しかしみんなの顔を見れて元気百倍!
また2年先2016年
この紅葉した須崎公園の奥に
聳え立つ県立美術館にて
再会出来るのを楽しみに
日夜、絵筆を握り、ギタ-を鳴らし
頑張る所存です。
有難うございました。

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