「あの頃の俺達」

2015年05月18日 21:56

思い出す、あの頃。
10代の仲間達7、8人と
警固公園で
ギタ-片手に盛り上がっていた。
女の子も3、4人いた。
"今、スポ-ツ・センタ-の前の
フォ-ク喫茶「照和」が出演者募集って
書いていたけど、
肝試しで冷やかし半分で
オーデションば受けろうや
・・・山部と花房お前達代表で"
その時の勢いも手伝って、
「照和」に、
ボロボロのフォ-ク・ギタ-を
持っていった。
何を唄ったかも覚えていない。
そんな17歳。
"あんた達下手いけど面白い。
来週の木曜日に来んしゃい!"
オリジナルはなかったけれど
C・C・R、BEATLES、STONESを演奏した。
最初は二人だったが
最終的に5人編成の
エレキバンドになっていた。
バンド名も「田舎者」
俺が田舎者みたいな
ダサイ格好をしていたからだそうだ。
最初のギャラは、
サンド・ウイッチと
レモン・スカッシュ
ボチボチ人気が出て来た頃
誰かが言った。
"火曜日の夜、
警固中の一級下の後輩が出よう。
バンド名も「開戦前夜」
なかなか良いらしい見に行こう"。
その二人は
陸上部の後輩、森山と浅田だった。
フォ-ク・ギタ-に
エレキ・ベ-スで過激だった。


また噂を聞いた。
香椎のもんで一級下の
「春風馬亭」って言うBANDも
なかなかいいげなぜ。
ボーカルは井上マサル。
フォ-ク・ギタ-にコンガで
ほんわかム-ドでリラックスしていた。

のち、森山はMODS。
マサルはFULL NOISE。
俺達と言えば
「田舎者」「SMILE」
「博多テディ-・ボ-イズ」「THE DRILL」と
一年毎にBAND名を変えて活躍した。

陣内率いる「THE ROCKERS」を見た時は
打ちのめされた。
"時代は、確実に変わった"と。
「照和」の4階の暗がりで
THE DRILLのメンバ-角野から
長渕を紹介された。
髪の長い優しそうな男の子だった。

「照和」から
色んなBANDがデビュ-した。
チュ-リップは
俺達が「照和」に出入りする頃から
既にスタ-だった。

「海援隊」の武田さんは
西公園の俺の母校でもある
福岡教育大学付属小学校で教鞭をとっていた。

甲斐さんは言う
「俺、広島に就職するけん...
お前達頑張りやい」と言い
肩まであった長い髪をバッサリ切った。
一週間後、
甲斐さんは広島から帰ってきた。
"やっぱり唄う事にするけん"

「リンドン」は、
俺達「田舎者」と同じ世代だったが
上手かった。
特にギタ-の田中一郎が。
誰よりも最初にデビュ-したのを
今でも覚えている。

俺達はダンス・ホ-ルで
「SON HOUSE」を見て以来
ROCKの虜になった。
当時「SON HOUSE」は
英語のカバ-から
日本語でのオリジナルに変わる頃だった。
その「SON HOUSE」も二度ほど
「照和」で演奏した事があった。
須崎にある[POWER HOUSE」を根城に
ROCK BAND最初の
メジャ-・デビュ-を狙っていた。

あの頃、毎日が刺激的だった。
狭い博多で、狭い福岡で。
角を曲がると森山達に会い、
後から陣内達が声をかけた。
柴山さんの後ろを
金魚の糞みたいに付いて回った。
マコちゃんから怒られ篠山さんから...

自分の基本はこの頃だと思う。
ROCK世代の俺達。
PUNKと言う音楽は後から付いてきた。
しかし俺達は飛びついた。
行き場を無くした迷える羊達
それは俺達だったかもしれない。
ありがとうジョニ-!
感謝してるぜ!